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その後の経過手術を受けた病院で、2009年10月28日と12月28日に MRI検査を受けたところ、現段階では異常なし という結果でした。皆様のお祈りと励ましに感謝致します。 ご心配下さった方々への手紙を記して感謝の報告とさせていただきます。
湘南は日に日に暖かさを感じられるようになりましたが皆様のところはいかかでしょうか?昨年の9月の手術以来、たくさんの方々に心配をおかけ致しましたが、お蔭様で奇跡的な回復をし、元気にしております。励ましのカード、お花、お見舞い、折り鶴など、本当にありがとうございました。「心から祈っています」という皆様の温かいお気持ちにどれだけ励まされ、勇気づけられたか分かりません。
私の手元に『ガンをはねのけ生き抜く力、すべてはあなたが治るため』 という小冊子があります。ガンを克服した方が無料(送料のみ負担)で配布して下さっているものです。そこに「ガンは治る。再発転移はもちろん、末期ガンもやはり治る」という力強い言葉が書いてありました。「そうなら私も治るかもしれない」とその小冊子を読んで思い始めました。「原因を取り除けば、あなたは治る」という説明に納得し、原因と思われること、私の場合は働き過ぎ(頼まれると何でも引き受けるタイプ)、睡眠不足、運動不足、ストレス(気配りのし過ぎ、考え過ぎ)等々を改善していきました。 仕事をすべてお休みし、夜は早く寝て、のんびり休養しようと思いました。でも進行度の早いガンなので家族は必死になって何か治療方法はないかと探してくれました。そしてたくさんの方々が様々な情報を下さいました。いろいろ試させていただき、特に年内は大量のビタミンCの点滴による免疫療法、気功治療、嵐の湯に行って汗を流し、体温を上げる温熱療法など、ほとんど家にいる時間がない位忙しい!?日々を送りました。幸い三男がアメリカの大学を休学していつも一緒にいてくれましたので、雨の日も風の日も通い続ける事ができ、とても感謝しています。12月28日の手術後2度目のMRI検査でも異常はありませんでした。執刀医師から「驚くほどいい状態です。何をしているかよく分かりませんがそのまま続けて下さい」と言われました。 私自身どれが良かったのか分からない位、様々なことに取り組みました。毎朝、人参・りんごジュースをジューサーで作って飲むこと。今までタクシーに乗る事が多かった駅までの行き帰りのの道を歩く事。ラジオ体操をし、サプリメントもたくさん摂取し、食事は玄米自然食。いい音楽をたくさん聞いて、大好きな映画も点滴しながらたくさん見ました。年末年始は嵐の湯の本家である山形の「たびやかた」へ家族旅行をしました。38年の結婚生活で年末年始をこんなにゆっくり過ごしたのは初めてでした。帰宅して、ごちゃごちゃになっていた家の中を少しずつ整理し、治療も毎日ではなくなり、三男も安心してアメリカにもどっていくことが出来ました。年が明けてからは確定申告のための資料をパソコンに入力することが私の仕事として残っていました。やっとそれも終わってこうして皆様にお礼のお便りを書く時間が持てるようになりました。 星野富弘さんが次のような詩を書かれています。今の私の心境を表してくれているように思います。 「新しい命一式ありがとうございます 本当にありがとうございました。又お会いできる日を楽しみにしております。 心からの感謝と共に、2010年2月 柿谷寿美江 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2010年3月10日、手術をしてからちょうど6カ月の日にMRIの検査を受けました。 再チャレンジを受けました。腫瘍が再発していることが判明しました。幸い 前回腫瘍をとった跡の空洞のところに腫瘍が再発しているので、摘出しやすい とのことです。早めの手術が望まれるとのことです。お祈りください。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2010年3月22日に再度入院し、その翌日に手術を受けました。手術は成功し、4月12日に退院し自宅でリハビリ中です。引き続きお祈りください。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- すっかり元気になり、サバティカルを取っている夫と渡米することを考えていた矢先、2010年5月20日のMRI検査で、再発が確認されました。まだ小さいものですが、これまでの状況を考えて、早めに対処することを考えています。ガンマーナイフでの治療を選択肢としています。神経膠芽腫(グレードIV)は侮れない腫瘍です。引き続きお祈りください。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2010年6月7日からガンマーナイフではなく、通常の放射線療法(60グレイ)を開始、同時に抗ガン剤(テモダール)を開始。テモダールは好中球1500を切ったので、13日間で休薬。放射線療法を受ける6週間の期間、別院でビタミンC50gの点滴療法(IVC)併用。6月30日水抜きのために入院。同日1時 間程度の手術。リハビリを入院中に受ける。7月14日退院。入院している日以外は放射線療法にCelebrexを服用。7 月20日に30回目の放射線療法を完了。7月21日のMRIにてactiveな腫瘍がないことを確認。また6月30日に抜いた水の病 理検査で、腫瘍は確認されなかったことことを7月21日に知る。7月21日、以前の手術時に埋め込まれたリザーバーから注 射器にて9ccの水抜きをする。この後左半身の麻痺が少し改善。改善の度合いは、左半身の機能の30%で機能しているという感じか ら、50%で機能するまでアップした。今後しばらくIVCを継続する予定。サプリメントは多種に渡っています。引き続きお祈りくださ い。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 7月29日PSK(クレスチン)を3g/day摂るべく入手。これまで ベーターグルカンや他のきのこ類のサプリメントを摂取して いるので、PSKの代用になると思っていたところ、そうではない ことが分かって、急遽入手して、飲み始めています。PSKは芯に 蛋白質があり、多糖体の枝葉がついていて、立体構造をしている ので、マクロファージが認識して免疫反応が起こるのですが、 精製した多糖体ベーターグルカン(レンチナン)には坑腫瘍効果は ないようです。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2010年8月18日、MRIで異常なし。しかし、再発防止のことを考えて、テモダールによる標準治療を検討する。標準治療は患者の体積から計算して私の場合は200mg/日を5日間服薬する方法である。この分量を処方してもらって、私たちの調査からもっと有効と判明している1週間服薬、1週間休薬、を繰り返す治療方法を採用することにした。患者の自己責任である。今の医療制度では医師は標準治療しかできない。体積から計算すると私の場合は、140mg/日で服薬量も標準治療より少ない。こうして8月19日から開始したものの6日間服薬して7日は休薬。食事が摂れなくなったからだ。薬の分量は標準治療よりも少ないのに、体には過酷である。抗ガン剤治療はこれを最後とした。9月11日現在、食べられるようになり、体力もついて来て、30分近く散歩をしても疲れなくなった。今は週に2度程度のIVC(ビタミンC75gの点滴)と、多種に渡るサプリメントを毎日摂取している。中でもメラトニン15mg ~20mgを就寝前にとっている。これはイタリアでの研究結果から判断して有効と考えている。そして、PSK、セファランチン、タヒボ茶が最近加わった。9月17日転地療法として渡米を予定している。夫のサバティカルでLAに三男と三人で3カ月程度住む予定。できれば、何か所か旅行することを楽しみにしている。 これまでの皆様のお祈りを感謝します --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- LAでの生活を楽しんでいます。10月13日のMRIも特に異常はなく、一安心しています。ただし、白血球数がまだ低値であるために油断はできません。ビタミンCの点滴(50g-75g)を週2回受けています。また、毎日アパート内にある居住者用のジムで、運動をしています。次回のMRIは12月22日、日本で受ける予定です。お祈りを感謝します。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 予定では帰国は2010年12月15日でしたが、左半身の動きがか利かなくなってきたため、1週間早めて、12月8日にLAを発ち、9日成田着。翌10日に入院、13日に外科手術を受け、水を30cc抜いてもらいました。水のなかに腫瘍の影はありませんでした。12月18日には退院しました。皆様のお祈りを感謝します。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2010年12月21日初めて左腕の痙攣発作が起こり、地元の病院に救急搬送されました。 その日は帰宅したものの、左の手足の麻痺が起こり、自力歩行が困難となりました。 MRIでは再発部位が確認できなかったので、メチオニンPETを東京女子医科大学でして もらいメチオニンが集積している部位を確認しました。左手足の麻痺は浮腫みによる ものと思われます。2011年1月26日から傾眠状態に陥り、28日に地元の病院に救急入院し、 30日まで4日間眠り続けていました。現在は嚥下訓練食Ⅳを完食するまでになっていますが、 2月21日(月)自宅から車で13分のところにある病院のホスピス病棟に転院します。 そこではいろいろな治療をさせていただけるので、自費でアバスチンを使って浮腫みが引けば ステロイドをはずし、自家がんワクチンの後2回分を接種してもらいたいと思っています。 その前に活性化自己リンパ球による免疫療法をしておくのがよかろうかと考えています。 これまで手術をしていただいた病院も、救急搬送された病院も「末期症状」と見ています。 でもまだできることはあると家族は考えています。お祈りを感謝します。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2011年2月21日、車で10数分の病院に転院しました。ホスピス病棟です。アバスチンも自費なら使えると言われていたのですが、結局使ってもらえないことになりました。それを知ったのが2月28日です。それまではアバスチンを使えば、脳内の浮腫みが少なくなり、ステロイドをはずすことができ、自家がんワクチンが効きやすい環境を作ることができると考えて、自家がんワクチンの2回目を延ばし延ばしにしていたので、随分ショックでした。アバスチンは日本では脳腫瘍の適用外であったとしても、米国では既に使われているものです。医師の身内が患者で、妻と同じような状況であったら、恐らく医師はアバスチンを使うだろうと思います。医師が患者や家族を自分の身内であるかのように接したとしたら、恐らく病院はもっと血の通う場所になるのではないかと思いました。しかし、考えてみると、妻寿美江のためには、多くの人が祈ってくださっています。日本だけではありません。いろいろな国の人たちが祈ってくださっています。そのなかで起こったことであるなら、神が許容されたことでしょう。私たち家族の願っているところとは違う方向でしたが、あきらめずに、ステロイドを使いながら2回目の自家がんワクチンを3月2日に接種してもらいました。また活性化自己リンパ球免疫療法をするために50ccの血液も採取してもらいました。通常の血液検査では10cc~13cc程度なので、大層な量であることを後で知りました。体調のよくない人にとっては過酷な量だと思いました。その点自家がんワクチンは血液をとることもなく、摘出したホルマリン漬けの腫瘍から作るオーダーメイドのワクチンなので、患者には負担がありません。 傾眠状態が多くなっており、脳圧が高くなっている徴候があるので、グリセオールとラシックス(利尿剤)を点滴してもらい、一日に2倍近い尿量となり、反応も改善してきました。今後の予定としては、3月8日に活性化リンパ球を体内に点滴で戻す治療をしてもらいます。これは自費の治療で、6回の点滴が予定されています。その後様子を見ながら最後の3回目の自家がんワクチンを接種してもらう予定です。自家がんワクチンは通常1週間おきに3回接種するものです。私たちの場合は、1月27日が第1回でしたが、直後に入院したために、2回目が延び延びになって、変則的な使い方となりました。しかも不本意ながらステロイドを使いながらのワクチン接種となりました。きょうは3月5日です。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- きょうは2011年3月8日です。活性化自己リンパ球免疫療法の1回目の点滴を してもらいました。体外でリンパ球を100億個以上にして体内に戻す方法です。 2回目を11日(金)に、3回目を15日(火)に予定しています。6回予定しています。 また、3回目最後の自家がんワクチンを16日(水)にしていただこうかと思って います。きょうも昼食、夕食を全部食べました。連日食事は全部食べていま す。きょうは夕食後に38℃の熱が出ていました。体内での戦いが起こっているのでしょう。皆さんのお祈りを感謝します。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- きょうは2011年3月10日です。熱は38.4℃でした。昨日は 38℃でした。初めて昼食をほとんど食べませんでした。どうやら誤嚥 から来た肺炎のようです。朝は熱が下がっても、夕方 には上がっています。酸素吸入をしてもらって指先の 酸素量の測定値が90以上になりました。その前は83程度でした。 ステロイドもデパケンも明日は点滴でとるしかなさそうです。 今夜の夕食は「なし」となりました。昨日から痰がからんでいるような 音がしていて、飲み込むのがつらそうな印象でした。看護師さんに 痰をとっていただくと、しばらくは楽になるようです。 皆さんのお祈りをありがとうございます。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2011年3月17日午後12時38分、ホスピスの病室で静かに息を引き取りました。誤嚥から来た肺炎で呼吸困難に陥ったことが直接の原因と思われます。脳腫瘍が発見されたのが2009年6月12日、9月10日に初回の手術、2010年3月23日に再発の手術。その後さまざまな取り組みをして来た結果、今日を迎えました。葬儀は3月19日、長男、次男も米国より帰国し、所属する教会で家族葬を執り行いました。皆様にはお知らせしないで葬儀を執り行いましたが、後日お別れ会が企画されると思います。一度はだれでも迎えなければならない人生の危機である死に対峙し、それを受けとめ、最後の大仕事を見事果たして、天国に凱旋しました。皆様のお祈りを感謝します。
3月19日午後12時、家族葬を湘南見附キリスト教会にて執り行いました。家族と教会に連なっておられる方のみで執り行いました。このような決定には次のような理由があります。
まず、葬儀に参加していただくとしたら、17日に息を引き取った直後ではできません。また大勢の方が参加されることを考えると、会場の規模をどうするか、平塚でいいのか、東京のどこかのほうがいいのかという問題がありました。どのようにして葬儀のことを周知するかという問題もありました。今回選択理論関係のフリーメールで情報を流しても、すぐに関係者全員に行きわたるということはありませんでした。知らなかったと言わ れる人がいます。また、地震、津波のもたらした被害と、被災者の皆さんのことも考えました。こういう状況では、家族葬を執り行い、後日「おわかれ会」を企画して、皆さんに参加していただくほうが、良いのではないかとの結論に至った次第です。お見舞いに来たいと言われていた方々、もちろん葬儀ということになったら、飛んで来たいと思われる方々には、大変失礼を致しました。お許しください。 2009年6月に脳腫瘍が見つかってから、実に22カ月の闘病生活でした。そのときどきにわたしたちはベストと思う取り組みをしました。日本語の情報だけではなく英語の情報もくまなく集めました。ベン・ウィリアムズ (Ben Williams)氏はサンディエゴ在住で15年以上ものサバイバーであることを知り、度々相談をし、書籍や執筆されたものを読ませていただきました。脳腫瘍のなかでも多型神経膠芽腫グレードⅣ(Glioblastoma Multiforme )というのは、もっとも質の悪いものです。薬剤のカクテル療法をベン・ウィリアムズは勧めていますが、それをしてくれる医師は日本にはいません。日本では標準治療と呼ばれるもの以外の治療をしてくれる人を見つけることはなかなか難しいことでした。できる範囲内でそれに近い取り組みを一部分しましたが、ベン・ウィリアムズが勧めるようなドラッグ・カクテル療法はできませんでした。今の医療制度では出来ないことがいくつもあり ますが、アバスチンをしてもらえなかったこともショックでした。これについては別のブログにも詳細を記しておきますが、家族の心理にも配慮する治療を受けられたら、との思いは残っています。 誤嚥の危険があるという理由で食事が止められる前、私たちは、昼食と夕食を食べさせる時間帯に病室に行くようにしておりました。食べさせると、昼食も夕食も全部食べていました。食べさせるときに口を開けるしぐさが可愛くて、食事を食べさせるのは楽しいひとときでした。口についた食物をとってあげようとしてティッシュを近づけると、食べ物かと思って口を開けるしぐさは微笑ましいものでした。 口数が少なくなっていた妻に、ある日私は「40年間の結婚生活はとてもいい人生だったよ」と言いました。妻は私のほうを見て、目を見開きイキイキとさせて、私を見つめました。まるで、そのことばを聞きたかった、とでも言っているようでした。ひょっとして自分が迷惑をかけているという思いを抱いていたのかもしれません。 また、三男命が「お母さん」と呼びかけると、「は~い」と応え、「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫よ」と応えるのを見るのもホッとするひとときでした。私が病室に着いて声をかけると、ニコッと笑うのを見るのも楽しみでした。あまり笑わなくなったときでも、「下男が来たよ」と声をかけるとニコッと笑ってくれました。 天に召される二日くらい前から、それまで温かかった手が少し冷たくなっていました。私たちが病院に行った17日の午前6時過ぎは、手の温度はかなり下がっておりました。血液の循環も悪くなっており、手の指先は変色していました。最後が近いことを感じました。呼吸はだんだん短くなり、最後は消えるようになって行きました。耳は聞こえていると思い、聖書のことばを読んであげました。第一コリント15章1節~58節「・・・しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。』・・・しかし、神に感謝すべきです。神は私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。・・・」 2011年3月17日、午後12時38分、静かに息を引き取りました。よく頑張った! 長い戦いだったね。ご苦労さま。地震や津波で一瞬のうちに亡くなった方々のことが日々報道されているなかで、私たちの別れは、濃密な関わりの後に来たものでした。充実感と喪失感の混じり合った感情がそこにありました。もう側にいないという悲しみと、病気から解放されて楽になったことへの安堵感とが、入り混じっています。日本のみならず世界の友人たちから哀悼の意を表すメールが来ています。米国、カナダ、コロンビア、英国、アイルランド、オーストラリアの国々から弔辞をいただきました。多くの人に愛され、慕われた存在でした。グラッサー夫人のカーリーン・グラッサー先生は、寿美江は本当に天使だった(She was truly an angel. )と表してくださいました。米国ウィリアム・グラッサー協会の事務局長リンダさんは、寿美江は選択理論のモデルだと表してくれました。 Her brave spirit in the face of such physical and emotional challenge will serve as a choicetheory model for all of us. 闘病中に皆さんからいろいろな形でいただいた励ましが、どれほどの力になったか言い尽くすことはできません。ありがとうございました。 (2011年3月24日) 夫 柿谷正期
柿谷寿美江の葬儀での三男命の挨拶
皆さん、本日は大変お忙しい中、母柿谷寿美江の葬儀にご参列いただきまして本当にありがとうございました。遺族を代表して三男の私から心からのお礼を申し上げます。 皆さんにとって柿谷寿美江という人はどのような人だったでしょうか。私にとっては本当に優しくて、愛に満ち溢れた母でした。母が余命宣告を受けて、私は母の助けに少しでもなりたいと思い、アメリカの大学を休学して日本に帰ってきました。母は「余命6ヶ月」と言われていたにもかかわらず、いつも笑顔で、常に明るく、本当に希望で輝いていました。本来だったら私のほうが励ます側なのに、母の笑顔に逆に毎日励まされていました。 約1年半の間、母と時間を過ごさせていただいたのですが、その間、最後まで一度も母は自分のことを憐れんだり、神様に向かって嘆いたりすることがありませんでした。それどころか「この病気が周りの他の人じゃなくて自分で本当に良かった。自分はイエス・キリストを信じていて、自分が死んだらどうなるかはっきりと分かっているから、そのようなことを知らない他の人じゃなくて自分で本当に良かった」と言っていました。 聖書にこんな言葉があります。「だれでも自分の利益を求めるのではなく、他人の利益を求めなさい。」母は本当にこの言葉通りに生きた人だと思います。いつも自分のことよりもまず先に他の人の幸せを願い、周りの人たちの成功を心から喜び、周りの人たちのために自分は何ができるだろう、と常に考えているような人でした。母の最後の数ヶ月、入院してからはだんだんと言葉数が減っていました。私たち家族が話しかけて一言二言応答する、という状態だったのですが、一度だけ母のほうから話しかけてきたことがありました。「命くん」と。私は、珍しいなと思って、「なに?」と答えました。そして母はこう言いました。「お母さんが死んだら、お父さん、お願いね。」本当に最後の最後まで周りの人への心遣いを忘れない素晴らしい人でした。 実は母が余命宣告を受けて、私は神様に向かって「なぜ母なのですか」と強く訴えかけました。正直今でもその答えははっきりとは分かりません。でも、その問いの答えの一部として分かっていることは「母だから」ということです。母のような人じゃなかったらこんな病気になってあれほどの笑顔でいることはできなかったと思います。ただ単に「プラス思考」なんてものでは、あれほどの笑顔で希望に満ち溢れていることはできなかったと思います。でも、母にはそれができた。それはイエス・キリストを心から信じて、神様に全てを委ね、神様を完全に信頼しきっていたからこそできたのだと思います。 私は決して神様を恨んだりしていません。確かに神様は私に、そして多くの人たちに、このような大きな試練を与えました。しかし、それと同時にこんなに素晴らしい人を、これ以上にないという人を、私の母として私の人生に与えてくださったのも、また神様です。ですから、私は神様に感謝して、母が示してくれた力強い信仰の道を少しでもたどっていきたい、と心から願っています。 「主は与え、主は取られる、主の御名はほむべきかな(ヨブ記1:21)」 本日は本当にありがとうございました。 2011年3月19日) 柿谷命 |